長野電鉄の「ディッカー」運行終える(1977年)
ユウガク | SBC 信越放送信州あの日あの時
1977(昭和52)年に撮影された長野電鉄の映像です。
原稿が残っていませんが、おそらく須坂駅でしょう。
停まっているのはモハ130形と呼ばれる電車。
大正末期に製造された東武鉄道の電車を太平洋戦争後に長電が譲り受けました。
当時は戦争の影響で国内の鉄道会社は車両不足と老朽化が深刻でした。
そのため国が主導して新型車両を国鉄に配備する一方、国鉄の車両の一部を大手私鉄へ、大手私鉄の車両を地方の私鉄に置き換えていた時期でした。
信州にやってきたこの車両は搭載していた制御器のメーカーの名前から、長電では「ディッカー車」の愛称で呼ばれていました。
東武鉄道に残った車両より長期間使われ、沿線の住民にも親しまれましたが、4年後の長野 – 善光寺下間の地下化を見据えて引退が決まりました。
(木造の車体は地下を走ることができませんでした。)
「さよなら運転」はこの年の10月9日 と 10日に行われ、須坂駅を発車した「ディッカー」は屋代線(河東線)を通って屋代駅を目指します。
途中の駅からも次々にお客さんが乗車してきます。
乗客は30年にわたって走り続けた車両との別れを惜しんでいました。
車両はこの年に廃車となり、解体されました。