マイカー普及で混雑の長野市(1965年)

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0:01:06 1965

1965(昭和40)年の長野市です。
市の南部から市街地に入る丹波島橋は、毎朝大渋滞でした。
当時の記録には「午前7時を過ぎると1時間待ち」と書かれています。
安茂里の国道19号線も慢性的な渋滞に悩まされ、川中島には松本方面へのう回路の案内も設けられました。
登校する子どもも途切れない車の列で道路を渡ることができません。
当時の県内の車は16万台余り。
現在の190万台の10分の1以下ですが、車で走れる道路も今より圧倒的に少なく、渋滞は社会問題の1つでした。
こうした状況を改善する目的で、犀川には1969(昭和44)年に長野大橋が架けられました。

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