端島っ子 の遠足は島から島へ! ~軍艦島の子供たち「中ノ島」遠足~
ユウガク | NBC 長崎放送映像のタイムマシーン
軍艦島の名で知られた端島(はしま)はコンクリートでおおわれた人工の島で、〝緑なき島〟とも呼ばれました。このため自然が残る近場の無人島、中ノ島(なかのしま)は多くの島民に親しまれました。昭和46年(1971)7月のこの日、端島の子供たちが草取りの手伝いを兼ねて中ノ島へ遠足にやってきました。島の広場は毎年夏の初め、端島の若手が雑草を刈って遊べるようにしてくれました。この島に遊歩道や展望所、それに広場や遊具などを備えた公園が整備されたのは昭和37年(1962)。それ以来、端島っ子にとってはこの小さな島が貴重な遊び場となりました。自然と触れ合いながら友だちと遊んだり運動したり、そしてなんといっても岩場の海辺で磯遊びをすることもできたのです。コンクリートの厚い護岸に囲まれた端島では決してできない遊びでした。