軍艦島(端島)の風景〜島民の日常生活を支える定期連絡船と青空市場 

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00:01:15 昭和46年(1971)7月23日

軍艦島の名で知られた端島のドルフィン桟橋に、この日も野母商船の連絡船が到着しました。昭和46年(1971)7月撮影の映像です。緑もなく、コンクリートで囲まれた端島は、炭鉱が島唯一の産業でした。このため、連絡船が毎日運んでくる魚や野菜などの生鮮食料品や物資が島民の日常生活を支えていました。映像にはリヤカーで食料などを運び込む人たちの姿が映っていますが、当時は対岸の野母崎町高浜などからも多くの行商人が島に来ていたようです。このころ端島には3000人が暮らしていました。高層アパートの谷間に伸びる島のメインストリートは、野菜や果物、日用雑貨などをリヤカーに並べて販売する青空市場となり、毎日多くの島民でにぎわっていました。

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