閉山2か月後の「軍艦島」〜ヤマの灯が消えて~
ユウガク | NBC 長崎放送映像のタイムマシーン
海底炭鉱の島だった軍艦島、長崎港外に浮かぶ端島(はしま)でヤマの灯が消えたのは昭和49年(1974)1月でした。それから2か月あまり後の端島にNBCのカメラが入りました。炭鉱閉山に伴い、立て坑の巻き上げ機や石炭を運ぶベルトコンベアなど全ての炭鉱施設が動きを止め、島内ではゴミ焼却などの後始末が行なわれていました。島を取り囲む岸壁では、この島が確かに端島炭鉱だったことを示す大きな看板が1枚1枚取り外され、人の気配もほとんど無くなりました。炭鉱従業員とその家族らが暮らした高層アパートからは生活のにおいが消え、ロープを使ってベランダから家財道具を運び出すなど島民の引っ越しも行なわれていました。端島炭鉱は明治23年(1890)の本格操業以来およそ85年間に渡って石炭を産出し続け、島には最盛期5000人を越す人たちが暮らしていました。そして閉山とともに一気に島から人が去り、わずか3か月で無人の島になりました。