高島炭鉱閉山~木造炭鉱住宅「炭住」取り壊し作業~ヤマの記憶 

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00:01:33 昭和62年(1987)10月27日

ヤマのシンボルがまた一つ姿を消しました。昭和62年(1987)10月、長崎市(旧西彼)高島町で、炭鉱マンとその家族らが暮らした木造の炭鉱住宅、炭住が次々に取り壊されました。高島炭鉱はこの1年前の11月に閉山し、島の人口は閉山前の5500人から2000人にまで激減しました。それに伴い、空き家の炭住も増え続け、荒れ放題の状態となりました。こうした炭住の撤去は、街の美観を保つことに加え、防火や防犯上も必要な措置として行なわれました。高島町は2億円の作業費をかけ、2年がかりで140棟を取り壊しました。中には大正時代に建てられ、戦前戦後の炭鉱の盛衰を見つめてきた炭住もありました。

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