「大浦海岸通り」倉庫群解体開始 ~旅博に向けみなとを整備~
ユウガク | NBC 長崎放送映像のタイムマシーン
それまで街並みの一部になっていた倉庫群の取り壊しが始まりました。長崎市の長崎みなとメディカルセンター、旧長崎市民病院前の県道・長崎野母港線(現国道499号)の拡幅に伴い沿線の倉庫群6棟が立ち退くことになり、昭和63年(1988)12月、1棟目の倉庫の解体作業が行なわれました。この建物は長崎県が長崎倉庫に貸与していた常盤町の羽衣1号倉庫1150㎡で、残る民間の倉庫5棟もその後解体、撤去されました。それまで旧市民病院前の県道は2車線で慢性的な交通渋滞が続いてきましたが、倉庫6棟の撤去後は6車線となり渋滞は緩和されました。当時常盤・出島地区には合わせて、これら6棟を含む20棟の倉庫がありましたが、元船町の新しい埋め立て地と東長崎の田中町に移転集約されました。