本河内から日見峠を越えて矢上へ ~大水害前の長崎街道の風景~

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00:01:38 昭和52年(1977年)7月29日

この頃の旧長崎街道はまだ古い時代の面影を残していました。昭和52年(1977)7月、長崎-諫早間の街道筋を撮影した映像です。長崎街道は江戸時代、長崎-小倉間およそ200キロを結んだ道で、鎖国時代には海外文化の通り道になっていました。カメラは中川町の石畳を抜けて本河内町の一ノ瀬橋、日見峠を越えて宿場町だった矢上に入ります。歴史を感じさせる通りが続いていましたが、昭和57年の長崎大水害で大きな被害を受け、街道沿いの街並みも変わっていきました。映像の最後は佐賀藩との境界を示す「領境石」です。
長崎街道は江戸時代の幹線道路、いわば動脈ですが、その街道の途中では現代の動脈となる高速道路の建設が進められていました。

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