「長崎市立淵中学校」被爆校舎解体お別れ式
ユウガク | NBC 長崎放送映像のタイムマシーン
長崎に残っていた被爆遺構は戦後次々に取り壊されていきました。長崎市立淵(ふち)中学校の被爆校舎もその一つです。平成元年(1989)9月、生徒たちがこの校舎とのお別れ式をしました。淵中の被爆校舎は内部に原爆で焼けた木片が残るなど、原爆の悲惨さを伝える貴重な生き証人でしたが、老朽化に伴いこの年の8月から解体工事が行なわれていました。お別れ式では当時2年生の生徒260人が参加。生徒代表3人が校舎が被爆した時の様子などを紹介し、原爆の悲惨さを伝えていきたいと決意を述べました。昭和50年代後半から60年代にかけて爆心地周辺では学校の解体が相次ぎ、昭和55年(1980)に城山小学校、昭和63年(1988)に銭座、山里両小学校のそれぞれの被爆校舎が取り壊されました。