不発弾処理大作戦 〜長崎の街はゴーストタウン?~
ユウガク | NBC 長崎放送映像のタイムマシーン
住宅地の地下に埋まっていた物騒な‶戦争の置き土産″不発弾が取り除かれたのは昭和55年(1980年)2月でした。
戦時中アメリカ軍が投下した250キロ爆弾で、埋まっていたのはグラバー園にほど近い長崎市大浦町の住宅密集地でした。
この日の不発弾処理は4000人以上が関わる大がかりな作戦でした。警察官ら1000人を動員して処理現場から半径300m以内の住民1400世帯3400人を近くの体育館などに避難させました。
避難区域内には産婦人科医院もあったため、産後間もない母親や赤ちゃんは救急車に乗せて移動させました。
住民の避難完了を待っていよいよ作戦開始。陸上自衛隊による信管の抜き取り作業はおよそ30分で終了、不発弾をクレーンでつりあげて搬出し作戦は無事成功しました。この作業に伴い大浦の街は一時ゴーストタウンと化しました。