昭和51年(1976年)「富川渓谷の夏~五百羅漢の摩崖仏」(8月)
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渓谷と摩崖仏と清流、ここは昔から夏の避暑地で、諫早の奥座敷とも呼ばれていました。昭和51年(1976年)8月に撮影された長崎県諫早市の富川渓谷(とみかわけいこく)です。
切り立った崖の岩肌に五百羅漢の像が刻まれており、長崎県の史跡に指定されています。江戸時代、この渓谷の下流の本明川で大洪水が起き、多くの人が亡くなりました。これらの犠牲者を供養するため当時の諫早藩主が五百羅漢を彫り、渓谷に大雄寺(だいおうじ)を建立したのです。
真夏の富川渓谷は一段とにぎやかになり、輝きを増します。滝つぼに飛び込んだり、渓流を滑り降りたり…。スイカを冷やせるような水温でも、夏休みの子供たちにとっては絶好の水遊び場です。
渓谷一帯の森林には豊富な植物群が分布し、県の天然記念物に指定されている「かつらの木」も自生しています。
富川渓谷の五百羅漢は大昔の水害の歴史を今に伝えるとともに、渓谷の森の豊かな自然が地域の子供たちを育んできました。