五島「福江大水害」被害甚大~堤防決壊、河川はん濫~各地に大きな爪跡
ユウガク | NBC 長崎放送映像のタイムマシーン
佐世保や五島で甚大な被害を出した昭和42年(1967)7月の水害は、当時長崎県内で戦後4番目の惨事となりました。県内の犠牲者50人のうち、佐世保は28人、五島は旧福江市の12人を含む20人にのぼりました。このうち旧福江市(現五島市)では福江川の堤防など20ヵ所が決壊し、川がはん濫しました。福江の市街地では濁流が押し寄せるなど、流域一帯はまたたく間に泥の海と化し、軒並み家財道具や商品などが泥水に浸かりました。被害は旧福江市のほか奈良尾町や有川町にも及び、合わせて住宅の全半壊、流失90戸、床上浸水1240戸、床下浸水3560戸にのぼりました。この時の災害は佐世保では「佐世保大水害」、五島では「福江大水害」と呼ばれ、各地に大きなつめ跡を残しました。