「大雪の正月」〜道路凍結事故多発!稲佐山は「スキー場」に!
ユウガク | NBC 長崎放送映像のタイムマシーン
この年の長崎はきびしい寒波に見舞われ、大雪の正月三が日となりました。昭和44年(1969)1月3日、長崎県内はすっぽり銀世界に包まれました。雲仙仁田峠で50㎝の積雪を記録したほか、長崎市や佐世保市など市街地でも雪が降り積もりました。このため交通機関はマヒ状態となり、道路の凍結で通行止めも相次ぎました。そんな中でも商魂たくましく、凍結した道路脇に車を止め「タイヤチェーンあります」の張り紙を掲げて、チェーンを即売する猛者もいました。この年の正月はスリップ事故や追突事故などが続発し、元日の2日のわずか2日間だけで2人が死亡、100人が重軽傷を負いました。一方、長崎市のシンボル、標高333mの稲佐山はロープウェイが動いていたことから多くの家族連れや子供たちが集まってきました。山頂付近が〝天然のスキー場〟になっていたからです。子供たちは割った竹をスキー板の代わりにして、南国長崎ではめったに味わうことができない雪のスポーツを楽しんでいました。このころはまだスノーボードは登場していませんが、その当時からあったなら、きっと多くのスノーボーダーが駆けつけていたはずです。