「長崎原爆病院」引っ越し 〜入院患者移送大作戦~
ユウガク | NBC 長崎放送映像のタイムマシーン
師走の長崎に救急車の列が駆け抜けました。日赤長崎原爆病院の移転に伴い昭和57年(1982)12月、長崎市で入院患者のピストン輸送作戦が繰り広げられました。原爆病院はそれまでの片淵地区から茂里町の旧三菱製鋼所跡に移りました。この日の移送患者は重症者や未熟児を含む入院患者140人にのぼり、長崎市消防局の救急車や陸上自衛隊衛生隊の傷病者輸送車など15台と病院職員ら440人が動員されました。中には点滴や酸素吸入などを受けたままの状態で運ばれる患者もいました。移送患者を乗せた救急車はサイレンを鳴らしながら走行しましたが、警察も万一に備えて交差点などで交通整理にあたりました。この移送作戦、1台あたりほぼ5回のピストン輸送にあたり、予定よりも早く3時間ほどで無事終了しました。