大水害の翌年 【昭和58年】の精霊流し ~花火によるボヤ騒ぎ多数~
ユウガク | NBC 長崎放送映像のタイムマシーン
長崎大水害の翌年、昭和58年(1983)8月の精霊流しでは、初盆を迎えた水害犠牲者の船が被災地から一斉に流されました。このため長崎市内の精霊船はおよそ1600隻にのぼり、前年と比べて300隻近く増えました。7・23の文字が刻まれた精霊船のみよし、西方浄土へ送られる「鎮魂の船」があらためて悲しみとともに市民の心をとらえました。その一方で、この年の精霊流しは事故や違反が続発。高さ制限を越えた精霊船が国鉄の高架線に触れ1人が死亡、10人がヤケドを負ったほか、花火によるケガやボヤ騒ぎもおきました。この年から精霊流しでの「やびや」の使用も禁止されましたが、当日は6件360本あまりが警察に一時没収され、安全の確保と事故防止に課題を残す精霊流しとなりました。