【あの日の記憶】昭和37年(1962年)「九州北西部豪雨・諫早大水害から5年後」(7/8)

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0:02:27 昭和37年(1962年)

630人が犠牲になった長崎県の諫早大水害から5年後の昭和37年(1962年)7月、再び梅雨の集中豪雨が諫早市などを襲いました。長崎県をはじめ佐賀や福岡などで甚大な被害を出した九州北西部豪雨です。
長崎県内で犠牲者はいなかったものの、がけ崩れや堤防の決壊などが相次ぎ、およそ2300棟が床上浸水の被害を受けました。
カメラがとらえていたのは氾濫の危険が迫っている本明川でした。地元の人たちにとっては5年前の大水害の悪夢がよぎったかもしれません。
諫早市の市街地などは本明川支流の洪水で広い範囲に渡って水浸しになりました。映像には小さいな子供を抱き、膝下までつかって冠水した通りを歩いて避難する家族の姿などが記録されています。

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