待ちに待った電話が開通(更埴・1964年)
ユウガク | SBC 信越放送信州あの日あの時
1964(昭和39)年のニュースから。
この年の秋、更埴市(現在は千曲市)の稲荷山地区に見慣れない白い壁の小屋ができました。
内部では男性たちが機器の点検をしています。
設置されたのは電話の自動交換機。
電話は当時、家庭にも普及し始めていましたが、高額の工事費に加えて加入者の増加に通信設備が追い付いていませんでした。
そこで電電公社(今のNTTグループ)が推進したのが「集団電話」。
一定以上の加入希望者がいる地区に自動交換機を設置し、そこから家々に電話を引く仕組みです。
(1本の回線を共同で使うので1軒当たりの費用負担は安くなりますが、近所で電話を使っていると他の家ではかけることができませんでした。)
制約があったとはいえ、電話が通じたことは地域住民にとっては大きな出来事、祝賀式も開かれました。
映像には当時の市長が長野市の市長に電話をかける場面も映っています。
この頃から20年弱で、日本の各家庭に固定電話がある時代になりました。