犠牲者に思いを馳せて… 阿智村に「望郷の鐘」(1975年)
ユウガク | SBC 信越放送信州あの日あの時
1975(昭和50)年10月、阿智村の長岳寺でがお披露目されました。
「望郷の鐘」と名付けられた鐘を撞くのは山本慈昭住職です。
山本さんは国民学校の教師をしていた終戦直前の1945(昭和20)年、家族とともに開拓団に参加、満州国(当時)へ渡ります。
しかし3か月後にソ連が参戦、大勢の人が犠牲となってしまいました。
シベリアでの抑留生活を経て帰国した山本さんも妻と2人の娘が旧満州で亡くなったと告げられます。
その後、山本さんは中国に残された日本人孤児のために尽力、身元の確認と日本への帰国に全力を挙げました。
1982(昭和57)年には亡くなったとされていた残留孤児の長女と再会を果たし、1990(平成2)年に88歳で死去します。
「望郷の鐘」は再び故郷へ帰れずに亡くなった人たちを供養するために鋳造され、「想い出は かくも 悲しきものか 祈りをこめて 精いっぱいつけ」「共に誓って 悔いを踏まじ
大陸に命をかけた 同胞に 夢美しく 望郷の鐘」などと刻まれています。
山本さんたちの尽力で身元が判明、家族と再会できた人は200人を超え、山本さんは「中国残留孤児の父」と呼ばれています。