人気集めるバッティングセンター(1966年)
ユウガク | SBC 信越放送信州あの日あの時
1966(昭和41)年のニュースから。
長野市のバッティングセンターを取材した映像です。
この前の年、東京に日本初のバッティングセンターがオープン。
これがテレビのニュースで取り上げられると、全国各地に数多くのバッティングセンターができました。
野球は長嶋茂雄さんたちが活躍した六大学野球の人気がそのままプロ野球にも移り、国民的なスポーツになっていました。
映像でもバッティングケージの外には順番待ちの列ができています。
仕事帰りでしょうか、ネクタイをした男性もバットを振っています。
当時の原稿には「選手が自主練習に使用するバッティングマシーンを商売にする業者が都会では多くなってきたが、長野市でも開業した。
機械の構造はいたって簡単で、緩急自在にボールの質も変えられるとあって、老いも若きもバットを振り回していた」と書かれています。