泰阜村の栃城分校 休校へ(1983年)

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00:00:48 1983

泰阜村にあった栃城(とんじろ)分校が休校になったのは1983(昭和58)年のことでした。
温田駅から車で山道を30分ほど走った場所にあった分校は1913(大正2)年に設けられ、戦後すぐには十数人の児童が通っていました。
しかし児童の数は徐々に減り、休校の時点では地区に住むのは3世帯、児童は3年生の男の子1人だけになっていました。
休校式には卒業生などを含めて70人ほどが参加、男子児童が分校での思い出を発表したほか、みんなで校歌を合唱して休校を惜しみました。
分校で最後の2年間を児童とともに過ごした担任の先生は「4月からは本校で友達と遊ぶなど、分校ではできなかったことをしてほしい」と話していました。
4月から男子児童は村の補助も受け、毎日タクシーで本校まで通ったそうです。
地元では分校の復活を望んでいましたが、結局2007(平成19)年に閉校となり、その後木造校舎も取り壊されました。

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