長谷村の分校が閉校(1969年)

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00:00:58 1969

1969(昭和44)年の3月、長谷村(当時)にあった分校がその歴史を閉じました。
伊那里小学校浦分校です。
壇ノ浦の戦いに敗れた平氏の子孫が住み着いたとされ、兵士が滅んだ壇ノ浦の「浦」が地名となったと言われています。
落人が暮らしたとされるこの地区は急峻な山が続き、平坦な土地は多くありません。
その貴重な土地に建てられた学校で学んでいたのは10人の児童。
閉校式では1人1人に記念品が渡され、児童の代表が挨拶をしました。
式が終わると子どもたちは先生に丁寧に頭を下げ、小雪の舞う中を家路についていました。
分校の跡地は「少年少女山の家」となっていて、滑り台やブランコが当時のまま残っているそうです。

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