集団移転で消えた松川入分校(飯田・1966年)
ユウガク | SBC 信越放送信州あの日あの時
1966(昭和41)年の3月、飯田市のある小学校に住民が集まりました。
木曽山脈から飯田市に流れ込む松川の上流部にあった松川入地区。
この日は集落の解散式と分校の閉校式が行われました。
分校の名は「大平小学校松川入分校」。
かつては数十人の児童が通っていたといいますが、映像では10人ほどに減っていたようです。
幕末から開拓が始まり、明治になって定住者が現れたこの地区はたびたび松川の氾濫の被害を受け、この前の年も家屋や桑畑などに被害がありました。
そのため15戸61人の住民は集団移住を決断、分校も閉じられることになりました。
挨拶をする代表の児童も、校歌を歌う在校生も、そして大人たちも、みんな目に涙を浮かべています。
故郷を離れるという大人たちの決断は、子どもたちには唐突だったのかもしれません。
それでも最後は笑顔で万歳を三唱していました。